欲しがりません

今年入ってからずっと空前の中上健次ブームがきていて中上健次の短編を読み漁っており、そこからなんかあの西側の空気、西側の土着の閉塞的な風景やら人々の暮らしやらそれにまつわるしんどい感じを目から取り込みたくて、てまあこれはもしかしたら一種の郷愁とゆうかの故郷を懐かしみたいんかなわたし、て感じで、そうそうそうゆえばわたしこれちゃんと読んだことなかったわ〜と思って図書館で手にとってみた『曾根崎心中』がめちゃめちゃよかった。あのいわゆる心中もんの元祖で読んでなくともだいたいの人は知ってる話、堂島新地の初ちゃんとその客やった徳兵衛の恋バナでストーリー自体はベタちゅうのベタなんやけど、後半の初が心中を決めてからの心象描写が、恋する女子の想いをめちゃんこ的確に描いていてずこずこ刺さってきて目から洪水。
「何も欲しがらなければどんなところでも窮屈でもないし、ひどいところでもない。眠るのには屋根があるばかりか布団がある。冬には火鉢があって、夏には水をはった盥がある。それにごはん。ごはんがちゃんと食べられる。それだけでいい。それだけで充分だと初は思っていた。(中略)ここで好きでもない男たちの相手をして年季明けを待てばいい。どこぞの金持ちが身請けしてくれるのを待てばいい。そうだ、何も欲しがらなければここはそんなつらいところではない。花見、芝居見物、女たちとのおしゃべり。おもしろいことを数え上げては、初は自分にそう思いこませようとした。そんな一切を、徳兵衛はひっくり返したのだった。女たちと笑う。火鉢にあたる。おしゃべりをする。湯浴みをする。花見をする。後生大事にしていた数少ないおもしろいことが、いっぺんに色あせた。なんとつまらないことども。」
「知らなければよかったことだった。けれど知らないまま年老いて死んでいたらと思うとぞっとすることでもあった。恋とは。」
はあ!恋とは!!!!はあああ〜これや〜〜〜〜ん。泣泣泣泣泣。

昨日ぐらいからぬくくなってきて、もう春か。あ〜雨が降ってる。屋根があるところに住めて、労働すればぎりぎり自分のおまんまは食べられる、好きな本も時々は買える、映画も見に行ける、たのしくおしゃべりできる友達もすこしはいる。これで充分のはず。わたし如きの屑人間がこれ以上のなにかを求めるなんて間違ってる。ちょっと前、労働してたら仲良しのSさんがいらしてて、ちょうどわたしもあがるとこでお茶でもしましょてなってお茶しばいてたらちょうどC子せんせともばったり。大好きなおふたりと偶然会えてわたしはとってもゴキゲンでしあわせの極み、ニコニコワイワイ3時間ぐらいおしゃべりして、帰り際にC子せんせとお手手を握り合って「ふたりにちゃんとあたたかな春が来ますように」って言い合ってお別れして、なんか帰り道わたし自転車こぎながらなんか泣きそうなって、なになにこの気持ち、なにおセンチなってるんやろわたし。あかんあかん。期待したらあかん。欲しがったらあかん。こうゆうちいさなおもしろいことを数えて後生大事にして、あとはひとりで耐えて生きていかなければ。