郷愁スイッチ連打の刑

大阪生まれ大阪育ちのわたしですがずっと所在無くどうしても大阪が好きになれなくて23のときに東京に逃げ出してきて、気付けばもう5年目?とかになってしまうのですが、これまでは全く一時たりとも大阪帰りたいとかおもったことなんかなかったのに、せやのに今、ここにきて大阪帰りたくなってきている。豊田さんの歌詞&エッセイ集『たった一行だけの詩を、あのひとにほめられたい』を読んでいて、そこからぽろぽろ毀れてくる大阪の、西成の、大国町の、千日前の、臭いやら温度やらにごりやくすみがめちゃめちゃ恋しくなってきて、単純なわたしはぴこーんと目から郷愁スイッチ押されてしもて、なんかもうあかんモード。はあ大阪かー。実家とゆう場所はもうとおに帰る場所ではなくなってしまった(メンタル的にもスペース的にも)し、大阪自体にも地元にも友達とよべる人なんかたぶん一人もいないのにねー、しかもどっちかゆうたらしんどい思い出の方が多いのに。先日所用で上京してきていた母親&妹に二日連続で会っていて、ふと学生時代の話になって、高校のときの担任の先生の話をされ、10年ほど前の話ですがわたしはもうその名前すら出てこなくて焦りました。母親に、ほらあの数学の、とか、顔が四角くてうんぬん、とか特徴ゆわれても全く覚えていない。あれやね、やっぱり人間はえらいもんで嫌な記憶てゆうのは脳みそから消し去る機能がついてるみたいやね!それぐらい高校時代はただただ暗黒の保健室登校児でした。



そんなふうに目から郷愁スイッチ押されてうろたえてるときに、わたしも主題歌で参加させていただいた白石晃士監督の『殺人ワークショップ』てゆう映画を観に行ったらば、主演の宇野祥平さんが話す大阪弁が、ただの普通の大阪弁やなくって超個人的局所的に完璧な大阪弁でこれまあめっちゃ微細なニュアンスの問題とかやからたぶんそんな鼻息荒く語ったところで誰からも同意されへんのやろうけど、殺人ワークショップを主催してる怪しすぎるカリスマ教師である宇野さんが、殺人法をスパルタでレクチャーしながら受講生たちを褒めるとき「よっしゃ、よっしゃよっしゃよっしゃ〜ようやった!」とか繰り返しゆうんやけど、この‘よっしゃ’のイントネーションがな、わたしのおばあちゃんと全く一緒やねん!ってそんな個人的な、しらんがな領域の話なんですけれど、耳からも郷愁スイッチ連打されてしまいまして、まじでもうあかんかも。えーんえーん。大阪帰ろかな。とかね、ゆうても冗談でしょって自分でもおもってたけどここ数日気付けば無意識に大阪での部屋探し検索しててびびる。やっぱし家賃安いよね。東京つかれた。