乙女はぼっち

乙女って、自ら声高に自称するもんでは決してないとおもっていて、いや確かにそうゆうなんちゅうの、乙女文化を愛でる人々の集まりとゆうのか、わたしたち乙女よねって言いあう乙女コミュニティみたいのもあるってことは存じているけれども、わたしには関係ない場所&ごめんちょっとそうゆうのは嘘くさくて苦手やから近づきたくないわ〜ってゆうのが正直なところで、せやからわたしの中では乙女ってゆう言葉自体、ゆうたら負け!的な変なきもちがあります。そもそも昨今、現代社会においてリアルタイムで感じれる乙女文化なんぞ皆無ちゃうん?とおもう。昔は、それこそ昭和のあの頃、まだ女子たちが奥ゆかしかったであろうあの頃、女学生たちは「それいゆ」をめくり中原淳一のファッションで吉屋信子の『花物語』なんかに胸を熱くしたりなんかして、そうゆう時代には現役ばりばりごりごりの乙女たちがちゃんと存在していたのとおもう。しかし今やそんな清く正しい女学生たちなんかおらんやろ!今そうゆうことをやると、ただのポーズとゆうかコスプレみたいな感じになるねん絶対!とはゆえ、わたしも中原淳一とか吉屋信子とかあの辺に思春期こっそりうっとりしていた側の人間なので好きは好きです。でもでもわたしはもう自他共に認める、立派な妙齢のアラサーゲスおばはん(もしくはおっさん)ですから、そうゆう乙女嗜好は封印して日々生きています、生きていました。

金田アツ子さんとゆう、乙女画を描いてらしゃる画家さんがいて、個展を開催中とのことでお邪魔してきました。個展会場、ギャラリーの2フロア分ぎっしりと乙女の肖像画が詰まっていて、最初ちょっとわたし息苦しくなって、なんやろこの感じってどぎまぎしながら観賞。たとえば歌って歌われたら最後嫌でも聞こえてくる大変押し付けがましいもんやけど、絵って基本だまっているからこちらからどうしたの?って覗いてあげないと、自分からは主張してこなくって、でもひとたび覗き込んでみると、作者が何日もかけて何回も絵の具をかさねて絵の中に閉じ込めてきた想いとか念のようなものが、ぶわ〜って眼からなだれ込んできて、そしてそれはきっとまるまま、アツ子さん自身のお人柄とゆうか生き様とゆうか、まあ完全に100%がそうではないのかもしれんけど、それはわたしが歌と100%リンクしてるわけではないけれども限りなくわたしであるのとおんなじで、絵からなだれ込んできたそれは限りなくアツ子さんが生きてきた化身のようで、気付いたらわたしは号泣していました。アツ子さんの絵の中の乙女は、この現代においてなかなか生きていく居場所がなくていつもひとりで心細くてでも怖いよう淋しいようって弱みはみせず凛とこっちを向いて澄ましている。そうやねん、乙女はいつもぼっちやねん!はあ〜アツ子さん!ってわたしの中で、もう死んだことになっていた乙女の部分がふつふつと眼をさましてしまって、気づいたら号泣!洟たらして号泣!アツ子さんに感想を伝えようとしたらまた号泣で、抱きしめられてまた号泣!わたし人前で泣くとかあり得へんのに!しかももう身も心も冷え切ってしまってこのかた何年って感じやから、泣くってゆう行為自体が超ご無沙汰で、自分の中にまだ涙ってあったんかって次元で我が事ながら混乱。えらく取り乱して泣いてしまいました。アツ子さんはありがたいことにわたしの歌を聴いてくださっていて、よくライブにもいらしてくださる方なのやけど、実はなんと今回、わたしをモデルに描いてくださった大きな作品まであって、しかも赤いカーテンと紙風船の浮かぶすごく大事そうな空間にどどんと展示してくださっていて、本当に感激感無量なきもちでした。

帰り道、もわんとぬるい春の突風の中自転車こぎながらまたちょっと泣いたりして、この世知辛い浮世、なんとかひとりで渡っていくにはゲスおっさんになるしかないと気張ってきたけど(たぶん激しく間違えた世渡り術)、久方ぶりに乙女が目覚めてしまったのでこれからの自分が不安です。。。

あ、金田アツ子さんの個展は高円寺純粋蜂蜜店ギャラリーで4月28日まで開催中ですよ。ちょっと詐欺的なまでの美人画に仕上がっているわたしもみれるし、いやいやそれ以外の乙女画もほんっと素敵なのでみなさまぜひ行くべし!