私の中の彼女、彼女の中の私

最近なんでか増えてきているらしいおかっぱボブな髪型の女子が、わたしも入れていただいているらしいシンガーソングライター(←この横文字すごい嫌い)的な土壌にも増えてきているみたいで、いや別にそれはいいんやけど、もともと他の髪型でも生きていける普通に可愛い顔付きで、写真なんかでもしっかり自信満々でカメラ目線でにっこり笑える系の女子は、正直やめてもらいたい!と、自発的にこのおかっぱ頭にしてから気付けば干支一周まわってしまったわたしは密かに強くおもっています。何故ならこのおかっぱ頭のいいところは、うつむけば自然と横髪のカーテンが閉じて顔面を隠せるとゆうところが一番の利点なので、顔面コンプレックス写真うつりたくない症候群な女子こそするべきな髪型なんであります。そんな勝手なおかっぱポリシーのもとに生きているのやけど、まさしくわたしと同じ理由ゆえにおかっぱ頭にしてるんではないかな、とゆう女の子と最近出会い、てゆうてもその女の子はわたしから見ればちゃんとしっかり可愛いお顔なのやけど、彼女は顔がでるのが嫌で写真にうつりなくないとゆっていて、それだけですごくわかりあえたような気持ちになりました。

彼女はおかっぱ頭で部屋にこもって、怒りや憎しみや諦めを溜めたり膨らませたりしながら人知れず歌をつくって歌っていて、はじめておはなしした瞬間に、ああ彼女がはなすこの景色をわたしは知ってる、とても知っている!と身震いし、わたしはまるで自分をみているかのような錯角に陥ってしまいました。しかし彼女の歌はわたしの歌のように聴く人を苦しませる歌ではなく、ちゃんと聴く人を救う力のある歌なので、こうやって勝手に一緒くたにするのは申し訳なさすぎる!なのやけど、もしかしたらわたしかもしれなかった女の子と出会ってしまったような気がして、この1週間は彼女の歌を聴き、彼女のことを考えてずっとそわそわしていました。彼女はわたしみたいに薄汚れていなくて、清らかでピュアでかたくなでまっすぐな目のままで誰よりも憤っていて、だけど傍若無人に怒ったり荒んだりしても自分が怒られるだけのわたしのようなぬるい場所には既にいない彼女は、ちゃんと大人の世界で大人の抑圧と日々戦って生きていて、その様は苦しそうだけど美しく絶妙に煌いていて、わたしはその戦う彼女の姿を想像するだけでとても胸がすく想いで、がんばれーっておもう、どうか汚されないでっておもう、汚れの部分はわたしが変わりに引き受けますので、どうかどうか彼女はこのままに、この絶滅危惧種的に貴重な彼女の青い闘争の火を、消すことなく濁すことなく、お守りくださいお頼みいたします、って、ええ、でもほんまはそんなん物凄く余計なお世話。彼女はきっとわたしなんかより、ずっとずっと強い。

かけがえのないお友達ができました。