息もできない隣の家の少女

昨日一昨日と、映画を2本見に行きました。

一昨日は渋谷のシネマライズ韓国映画『息もできない』、どつきあいどつきあいの連続、やけど体当たりのぶつかり合いって大事やなあとおもった。言葉より手が先に出てしまう素直さとゆうかピュアさがなんか、新鮮で美しくさえ感じたでした。血は流れるし、ひたむきに健気に生きている人々がどこまでも報われないとゆう悲惨な結末だったけど、なんか、監督主演ヤン・イクチュンの、無骨な優しさがじゅわーと染みてくる作品でした。ほんでわたしは、ちょっと恥ずかしいけど男の世界とゆうかヤクザな世界に、遠い憧れのような眩しさを感じてしまうなあ。悪いものに惹かれる、これはヤンキーにこっそり憧れてる思春期女子のようなもんかね。ヨニの弟がチュートリアルの福田にみえてしゃあなかった。

で、昨日はシアターNに、『隣の家の少女』をレイトショーでみにいった。ジャック・ケッチャムの最強に気色悪い小説の映画化なんやけど、こちらはえらいあっさり仕上がっていて、あれれーと拍子抜けでござった。どろどろ濃縮還元やったえげつなさを、何倍にも薄めてさっぱり味になってて、ナニコレー!でした。善いもんと悪もんが白黒くっきり描かれてて、原作の善悪の混沌が消されてて、これやったら只の少年のひと夏の思い出やんけ!とゆう感じ。スーザンがめちゃかわいくてミドリのまり子さんにそっくりでした。かわいかったなあ。しかしやはり物足りない感がぬぐえなく、帰りに物販で売っていたケッチャムの『地下室の箱』を買って帰りました。

しかし桜はもうどこにでも咲いていて、わざわざ花見ってほど特別に催さなくっても、移動の道すがらどこいでも見れるやんかーとおもう今日この頃です。甲州街道沿いも文化女子大あたりは満々に咲いているし、ちょっとした小道の遊歩道なんかもだいたい咲いている、昨日はお昼に友人KCと墨田区〜浅草〜上野くんだりを遠足していたのやけど、もうどこにでもさらっと咲いていたなあ。スカイツリーとやらの付近も歩いたけれど、まだ只の工事現場でした。