LINE、大正、電磁波、ミミズちゃんよ永遠なれ!の巻

昨日は労働後、下北のトリウッドへ小谷忠典監督『LINE』の試写会に行ってきました。小谷さんとは、『へばの』試写会帰りに打ち上げから逃走組でお会いして、新橋のドトールでお話し、結構近い時期に同じく大阪から出てきはったと知り、『へばの』でも追加撮影部隊で活躍してはって、で、その後も労働先に何度か来てくれてたりでお顔は拝見していただけど、どんな作品をとってはる方かしらんくて、で、昨日はじめて拝見した。監督自身の自分の傷を辿ってゆくドキュメント、と書いてしまうとすごいつまんなく聞こえるけれど、痛々しさや生々しさを越えた向こう側が最後、すごいやさしくあたたかくひびいてきて、肉親への愛憎とかって、どこもあるもんで、どこも壮絶なもんで、それでも繋がっていて生きていて、いまがあって、自分が存在していて、それ自体が線やなておもった。それは、その連鎖は、人間が出来得る行為の一番ポピュラーな傷の刻み方、傷の残し方で、だけどそれをすんなり刻めないから、わたしは歌を歌ったり、小谷さんは映画にしたり、するんかなておもった。自分自身をテーマに撮るドキュメント映画って、それってすごくわたしがしてることと似ていて、なんかすごく、はっ!とした。監督が、上映後の質疑応答で、反射的に感じたとおっしゃるその悪意は、すごくわたしも思い当たって、ぐさっときた。
大阪の大正区にはわたし自身も結構思い出があって、何故か学校以外での友人がすごく大正区民が多かったり、tuba...diskも大正区にあったし、公私共によく訪れていた街で、なんか、今でも気になる街ではある。えっちゃんは元気かなーとか、N夫妻やにゃんこは元気かなあとか、こそぶる雨の中、まだ寒い春のはじめ、お花見バーベキューしたなあ、アゼリアホールのスタジオで聴心器の曲、一曲録ったわあ、高校の頃はバスの終点、鶴町四丁目まで、よく行ってたなあ、あの公園はまだあるかな、あのファミマはまだあるかな、えっちゃんのお母さんのごはんはおいしかった、なんか思い出せばどんどん蘇る風景、思い出、でもいろいろがまざりまざって、なんかカオス!とゆう印象だけは今もあって、『LINE』と繋がった、気がした。

帰り道、小田急線でほんの3駅ぐらいやのに、各停がぜんぜんこんからとりあえず代々木上原で降りて、ホームで待てど暮らせど、各停はこず、なんでや!小田急線て、急行が止まる駅は栄えてて活気もあるけど、各停の駅はすごい、しんみりとしている、まあそれもいいかなと、住めば都的ポジティブ精神でここを根城としたいです。

今日は11時出勤やったので、ゆっくり朝から洗濯祭などした。洗濯機回しながら電子レンジ使ったら、ブレーカー落ちた。びびった。洗濯機置き場が外やから油断してたら、あかんね、電気はおんなじやね。しかしこないだH野さんが語っていた電磁波の恐怖を思い出すとこわくなる。改札のスイカのぴっのやつ、だいぶやばいらしい。もちろんこのパソコンも。有吉佐和子の『複合汚染』をいま読んでるんやが、これは昭和54年に出た本で、この時点で、日本は結構やばい汚染大国なわけで、ほならいまは?と考えるとおぞましい!そうゆえば、もうだいぶとミミズをみていない。ミミズがいない土地はもう死んでいるらしい。その昔、ミミズを輪切りにしてあそんでいた自分を呪います。あ〜ミミズちゃんよ、いまもこれからも永遠に生きていてくれたまへ!!