6.19〜25日記

6.19 月
朝から普通に労働。が、また電車で寝過ごして代々木上原に行ってしまう。おまけに階段をすべりだいのようにどんくさく滑り落ちてお尻&右肩を強打。朝のラッシュ時、痛いより恥ずかしいが勝つ。無事労働を終えて、帰りに紀伊國屋によって上原善広さんの新刊『路地の子』を購入。その他は特筆すべきことはなし。

6.20火
病院の日。今日は診察も検査も午後だったのやけど、いつも血管が細くて失敗しまくられる採血が、午後やとちょっとは血の巡りが良いからか、見ていて感動的なまでに綺麗に注射器の中でぴゅうと放射線を描くように血が抜かれて行ってて、おおーと感心感心。その他はいつもと変わらぬ、バケツリレーのような流し診察。眠れないといったらまた新たに睡眠薬が増えた。これで眠り薬だけで5種も飲むことになるんですけどー。もちろんその他のお薬もあるから寝る前に7種も飲んでいることになるんですけどー。これ、いわゆる薬漬けという状態なんではないでしょうか! と、先生自体には言えないし、処方通りに薬を飲むのがクランケの務めな気もするのでなんともいえない。薬代がすごい金額になっていた。帰って明日の円盤ワンマンの練習。新曲をやるのでそれの練習。と、ちるめらさんの「一輪のりんどう」をひとりでピアノでやってみようと練習。さみしくていい歌。そして、声がちゃんと普通に出るってありがたいことやとしみじみ感じた。夜、『路地の子』がおもしろすぎて一気に読んだ。肉屋の裏も表も丁寧に書かれていて、それからヤクザや右翼との絡みなんかも出てくるのでわたし的に好物だらけの本やったけど、反面教師的に生きてこられた上原さんがこうやってお父様の半生を緻密に取材してお書きになるって、かなり色々な葛藤があったんではないかなあと思うと、結構胸にくる本やった。あとがきで、実兄の性犯罪も、ご自分の女性関係トラブルも、全部復讐ではなくて、お父さんに振り向いて欲しかっただけやと認めてはって、それもすごくぐっときた。母VS娘もかなり色々あるけど、父VS息子も、女にはわからん苦しみが付きまとうものなんやろうなあ。そして、大阪の肉屋の事情を読みまくったせいか、非常にかすうどんが食べくなった。

路地の子

路地の子

6.21水
朝、というか夜中、まだ眠りに落ちて1時間くらいのときに、パッと目が開いたら突然発作的ないてもたってもいられない感に襲われて、と思った瞬間猛烈な顔面の痛み&衝撃音。要するにベッドから落ちました、しかも顔から。そして、顔が直撃したのが枕もとにおいてる、積読などを積んでる折りたたみ机やったのやけど、どんな落ち方したのか不明なのやけど、折りたたみ机の脚が一本完全に折れて、刺さっていた釘が飛んでいき、色々信じられない形になっていたのであーる! 顔面の方は鏡でよくみたら左面ほほの下の方にちょっとアザが出来てますがその程度、わたしは冷静に、朦朧とする意識の中で無意識にねじ回しなどを出してきて、なんとか机を直そうとがんばっていたらしい。しかし、その発作的な居ても立っても居られない感の方が勝って、狭い部屋じゅうをとりあえずうろうろし、そしてそれだけでは我慢できなくて何の用もないのに夜中に近所を徘徊。なんか近所のコンビニを無意味にはしごして歩いたら気が済んだのか帰宅したのやけど、この原因は昨日はじめて処方された新しお薬のせいでありましょう! あーあぶないあぶない。とりあえず、新しくなったお薬は明日からは飲むのやめよう。そんな最悪の目覚めだったけど、落ち着いてから「早樹子のてきとう新聞6月号」を書いてコンビニでコピー。ほんで練習練習。夕方から高円寺円盤へ。着いたら外人さんが4人くらいいて、T口さんが質問攻めにあっており、おやおやと思っていたけど、どうやらものすごく日本のアングラサイケマニアの外人さんたちで、その手のレコードを漁りにはるばるオーストラリアからやってきたそうな。カタコトの日本語で、「わたしのいちばん好きなバンドは不失者です」と自己紹介してくれてたまげる。他にもジャックスが好きとか、三上寛が好きとか、わたしも知らんようなその時代のサイケバンドの固有名詞が飛び交いまくり、すごい、こんな外人おるんやーと感動した。T口さん曰く彼ら円盤で10万くらい買っていったらしい。そして、わたしが徐にリハをはじめたら、「グー」とかゆってくれて、わたしもカタコトで「今日20時からここでライブします」て伝えたら見にくると言ってくれた。日本語オンリーの歌やから、外人さんには全く理解不能の音楽やと思うけど、ジャックスが好きとかゆうくらいやから、何かわたしの音楽でも伝わるものがあるかもしれない。4階のタコ部屋でしばし準備して、時間になって円盤へ。今日は前回と順番を変えて、最初から暗い弾き語りコーナーをどっぷり行く作戦にしたので、T口さんに照明を落としてもらう。雨やし、お客さん全然おらんかったらどうしようと思ってたけど、前回よりちょっとだけ増えていた! ということは、悪くはないでしょう! ありがたし。例の外人さんも途中から入ってきて見て行ってくれた。この円盤ワンマンの会は、一切拍手をしないという暗黙のマナーをみなさんが守ってくださり、今回も小一時間、一切拍手もMCもなく、ひたすら歌に集中して歌い続けるライブが出来てわたし的に満足でした。恥ずかしながら例の新曲も披露。内容が内容なので、聞く人にとっては、うわ……みたいになったやもしれませんが、あの曲については質問は受け付けません。チーンと張り詰めた空気の中ひたすら歌い続けといて、最後におしゃべりコーナーで、てきとう新聞のトピックを一個ずつおしゃべり。こうやって書くと、一か月色々あったなあと思う。末井さんや呪殺祈祷僧団の話から、上杉清文さん一派の日本冷やし中華連盟(通称日中連)話をしたら、T口さんがあとから色々昔のあの辺のおもしろ話をしてくれた。冷やし中華連盟という謎の団体名のからくりもわかった。妹が初任給でわたしのライブのチケットをお姉さんにプレゼントしてくれたという、素敵な可愛い姉妹が来てくれたりして、他にもはじめましての女性のお客様もいて、個人的にうれしかった。来月は7月19日!また新しい曲をやるつもりでいますので、どうかみなさん、見捨てず来てくださいね。

6.22木
新しいお薬を飲まなかったので変な発作も起きず、でもいつも通りあんまり眠れず。今日は突然先週から浮上した(1年前に企画倒れたと思ってた)アニメーションのエンディングソングのレコーディングの日。ピアノのフレーズを思い出して練習して、昼過ぎからレコーディング場所神保町。ついたら珍しくわたし以外全員来てて、今回、急にエンジニアとしてお願いしたU波さがグランドピアノ開けて特殊マイクなどを立てて準備中。U波さん、またしても若返った気がして、「また若返りました?」とかきいたら、どうやらグルテンフリーというやつをこの1年ぐらいずっとやっておられたらしく、わたし、なんとなく聞いたことある言葉やけど実際意味をわかってなかったのやけど、どうやら食生活から徹底的に小麦を除くというストイックなものらしく、パンもあかんし麺も全般ダメ、10割そばだけいけるけど、あともちろんお菓子もダメやしビールもダメ、厳密にいうと醤油にもグルテンは入ってるからあかんとかで、えーじゃあ何食べるねんってゆうたら、お米やお肉はもりもり食べるらしい。でも醤油なかったら味ないやんね。けど、グルテンフリーしてから便通もよくなって体調がすごくよくなり痩せて若返ったらしい。身近にそういうことを実践している人がおらんかったのでびびる。しかも男子でそういうのって珍しくない? わたし的には、男性は好きなもんを好きなだけ食べて、ちょっと太ってるくらいで全然ええのにな〜とかおもったけどこれは個人的な趣味のはなしやな。U波さんは先日の劇団サンプル最期の公演の音楽を担当してらしたので、サンプルの話などをしつつ、アフタートーク村田沙耶香さんがいらっしゃる日をわたしはわざと選んで見に行って、U波さんも村田さん大好きとおっしゃってたから絶対来てはるとおもったのにいなかって、なのでここぞとばかりに村田さんが打ち上げで話してくださった素晴らしいエピソードを披露して羨ましがらせる。とかってわりと楽しく緩い感じで録音開始。といっても今回エンディングの1分弱の曲1曲だけなので、しかもピアノ1本とボーカル1本なので、取り直したとはいえ結構すぐ終わった。1時間弱で終わった。わ〜もう終わった〜! とかゆってたら、これでも今回は結構テイク多かったですよ、とU波さんがゆってて、今回はそのアニメーション監督にOKか、NGか、もうちょっとこうゆう感じ、とか結構色々オーダーされるがままに何回か録ったから、わたしにしてはテイク多かったかも、そういえばわたしっていつも本番レコーディングもだいたい1発2発でオッケーですもんね、とか話した(U波さんには何度もレコーディングエンジニアとしてお世話になってて、『明るみ』というアルバムはまるごとそうやし、『卵のエチュード/お葬式』シングルもそうやし、結構わたしのやり方をわかってくださってるので話が早いというか、やりやすい)パパッと録音は終わったので、データの受け渡しの話とかを監督とU波さんがしてて、一応2時間会場を借りてたから、あとは無駄話をして盛り上がった。けどここには書けないお話です。U波さんは神保町の古本街に消えていき、わたしと監督も半蔵門線で反対方向に乗って別れて今日のお仕事終了。

6.23金
寝れないので、夜中3時から活動はじめ、原稿直しを3件ほど片づけて送信。その後労働へ。休み時間先日円盤で買った本を読む。戦後すぐから寿町のドヤ在住で日雇い労働者やったのやけど急に思い立って60歳すぎてから受験して東大生になり、そしてその東大も卒業して、生活保護をもらいたいがために貯金を全部なくそうと思って、突然小説を書いて自費出版し、そしてそれを適当に知り合いに配ってた85歳のおじいさんの小説を読みだす。長編の『霧笛』というやつと、短編集があって、長編から読みだすも、これがすごいおもしろくて、作品を固有名詞を使って褒めるのは本来よくないのやけど、例えるならば、「家畜人ヤプー」ミーツ武田泰淳の「富士」って感じで、こんなんをドヤでしこしこと80すぎのじいちゃんが書いてたのかと思うと色々胸が熱くなる。労働後、渋谷の桜丘町にある千絵ノムラさんがママをやってるスナック雨という店で、飯田さんがライブをやるので見に行く。桜丘町は渋谷でも綺麗な方の渋谷で、オフィスと高級住宅地て感じやのに、突然花畑のように飾り立てられた壁面にマジックでぎっしり「ロシアのエルミタージュ美術館には猫ちゃんが8匹雇われていて…」というはじまりの、なんかちゃんと読んでも意味があんまりわからへん、所謂デンパ屋敷が出現し、あっけにとられてたらどうやらその並びの建物の二階がスナック雨で、ひさしぶりにしゃべった千絵ちゃんに、「ちょっと下の壁怖かったんやけど!あれはここのビルのオーナーがああゆう人なん?」とかゆってたら「あははこのビル全部なんかやばいよ!」と軽く流された。ついたら飯田さんが一生懸命準備中で、わたしは前の方のソファーに座って、青ぐらいところで暇つぶしに例の本を読んでいた。どんどんお客さんが入ってきて、いつも飯田さんのライブにくるお客さんもいれば、たぶんこのお店の常連さんというか千絵ママについてるお客さん? とかもいて、すごいな〜と思う。飯田さんの紙芝居は、一部はCDをつかったエンタメ寄りの紙芝居で、二部は大人しめの音楽なしの紙芝居、「街」とあとその次に続けてやった短編(タイトル失念)の2本攻めがわたし的にとてもよかって、飯田さんはすごく色んな夜を見てきた人なんやなあと思った。夜の美しさや淫靡さを描きながら、でも結局朝になるから今夜も全然大したことじゃないんだけどね! みたいなクールな描き方が飯田さんらしくって、じーんとした。最後に謎のダンスを千絵ママと踊るといってたけど、それが予想外の創作ダンスのような結構しっかり長尺のダンスやって、意味はわからないけど面白かった。あと今日は飯田さんずっと、手作りの、ゴミ袋で作ったドレスを着てて、段ボールをビニールひもで編んでしっかりコルセットまで作ってて、キッチンペーパーでお花の飾りまでいっぱい作ってあしらって、完全にホームレスお姫様って感じで衝撃的やったけどすぐに見慣れた。足立区まで一緒に帰って、ふたりで庄屋で飲んで、ちょっと秋に出すIKAZUGOKEアルバムのレコ発に関する会議なんかもした。来週はアルバムのレコーディングであーる! 朝方閉店で追い出されて帰宅。

6.24土
朝帰りしてちょっと寝て起きて、部屋を一応片づけて掃除して、何故なら今日は榎本さんが我が家にきて、ささやかに6月10日のライブの打ち上げをやろーとなってて、駄菓子を用意したりブドウを洗ったりしてパーティの気分。榎本さんも駄菓子をたくさん持ってきてくれて、わたしが見たことない、パチパチパニックという駄菓子、あのサーティーワンホッピングシャワーの口の中でぱちぱちはじけるやつの、あのはじける部位だけが小袋に入ったラムネのような飴のようなお菓子で、口に入れたらほんとに結構なパチパチパチと大きい音が出ておもしろくてはまった。ブドウにまぶして食べたらファンタみたいになるかな〜とかゆってやってみたけどならなかった。そういう問題ではないらしい。色んな話が止まらなくて、結局7時間ぐらいふたりで喋っていた。わたしがパチパチパニックにすっかりはまってしまい、そこからサーティワンに行きたくなったので、夜、榎本さんを連れ出して駅前のサーティワンへ。今はダブルの値段でトリプルにできるキャンペーン中だったので、欲張ってスモールのトリプルを選択。ホッピングシャワーと、チョコミントと、ラムレーズンの3つにした。ホッピングシャワーは、パチパチパニックを体験したあとに食べるとやはりアイス要素が強いからそんなにパチパチしなくて、あれ〜て感じやった。そしてスモールとはいえアイス三種は結構おなかいっぱいになった。折角足立区くんだりまできてくれたのに、お料理も出さず、ごはん屋さんにもいかず、お菓子を食べてサーティワンで締めるという、変な打ち上げだけど、わたしの食生活こんな感じやので榎本さんを付き合わせてしまったかなあとか思ったけど、たぶん、榎本さんもかなりこちら寄りの人な気がしたので、楽しかったし、よかったかな。蛍の光を流され、サーティワンを閉店で追い出され、駅で見送って、帰り道、ひさしぶりに知らない人に声かけられて「アウトデラックスの人ですよね!」と、もう1年半以上前なのに、まだ覚えててくれてる人おるねんな〜と不思議に思った。可愛い小柄で若そうな女の子やった。

6.25日
朝からメルマガの原稿を書いたりゴロゴロしたりして、昼から衣装的な洋服を色々見繕って、渋谷の某所へ。今日は9月にC子せんせいと花代さんとやるお芝居のチラシの撮影をまずした。花代さんは素晴らしい写真家さんでもあるので、花代さんディレクションの元、持ってきた服を着たり脱いだりして、最終的には殆ど裸のようなイヤンな恰好で撮影。だけど花代さんフィルターを通すと覆われてる布は悉く少ないけどたぶん、ドエロい感じとは180度違う、オシャレで可愛い絵になっていることでしょう。ソロショットと、C子せんせいと絡むショットも撮ったけど、C子せんせいと絡むショットはえっと、わたし人生はじめて、手ブラならぬ足ブラをしました。どんなやつが使われるかわからないけど、花代さんの写真はどれみても完全に素敵なんで、きっと心配は無用! C子せんせいとふたり、渋谷の邸宅で半裸&全裸になってましたが、絶対綺麗ないいチラシになるでしょう! 撮影のあとは、C子せんせいが持ってきてくれたテキスト、まずはこの邸宅の元の持ち主である、難病の末に亡くなってしまった作家のおじいさんのエッセイを、朗読したり、そのあとはアルトーの『神の裁きと決別するため』というすんごくヘンテコな文章を邸宅じゅうを歩き回りながら、代わりばんこに読むという稽古をした。どっちもお芝居本番にやる直接の内容とは関係ないんだけど、3人でこの舞台で、動きながら喋るというのはとても勉強になったし、おもしろかった! アルトーの文章なんて、黙読してたらわたしくらいのオツムの出来だったらきっとわけわからなくて挫折しちゃうんやけど、声に出して読むことによって、なんか、結構意味がわかってきて、しかも自然と3人の役名が出来たり、盛り上がるとこは一緒に大きな声で読んだり、初見の文章やったけど、気持ちよく読めてしまった。アルトーの本ちゃんと読めたことないけど、C子せんせいが説明してくれたところによると、アルトーの残酷演劇というのはなかなか興味深かった! 撮影もして、すこし声を出して体動かして稽古もして、その後近くのリキッドルームへ遊びにいこうとなり、恵比寿の方へみんなで歩いてたら、途中で道端で飲んでいるパーティーピーポーな方々がいて、どうやら花代さんのお友達だったらしく、その中にTTコちゃんもいて、ひさしぶりに会っておはなしした。これからそのパーティーピーポーな方々と一緒にリキッドルームのロスアプソンTシャツ祭り?に行く感じだったけど、楽しそうやけど既に10時半くらいで、わたし明日も朝から労働だったので、失礼ながらお暇して、C子せんせいとふたりで恵比寿駅から帰宅。